今から75年前、ドイツで伝染病の治療に尽力し、自らもこの病に感染し命を落とした八王子市出身の医師・肥沼信次博士を知っていますか。3月8日は肥沼博士の命日にあたります。博士をしのんで、市民団体「Dr.肥沼の偉業を後世に伝える会」代表の塚本回子さんらに話を聞きました。
八王子の誇る偉人「肥沼信次博士」とは
肥沼信次博士は1908年10月9日、八王子市中町の医師・肥沼梅三郎さんとハツさんの次男として誕生しました。幼いころからアインシュタインやキューリー夫人のような人の役に立つ研究者になりたいと、日本医科大学を卒業後、東京帝国大学で放射線医学を研究。1937年にドイツに留学し研究者として活躍しました。
第二次世界大戦後、多くの日本人は帰国しましたが、博士は医師としてドイツに残り、ヴリーツェンの町で発疹チフスに苦しむ市民の治療に尽力。多くのドイツ人の命を救いましたが、自らも感染し37歳の若さで亡くなりました。
博士の偉業は現地の人々によって今もなお語り継がれ、ヴリーツェン市の名誉市民としてたたえられ、毎年3月8日の命日には慰霊祭が行われているそうです。
肥沼博士の偉業を広める活動を開始
塚本さんは肥沼博士の偉業を講演で知り、自分の命と引き換えに多くの人を救った八王子の偉人を知ってもらいたいとと2015年に同会を設立。有志でドイツ・ヴリーツェン市へ向かい、当時博士のもとで働いていた元看護士らを訪ねて話を聞いたり、博士の墓参をしたりと、現地と親交を深めてきました。
普及活動の一つとして講演会や関連イベントの開催ほか、慰霊祭に合わせた千羽鶴の寄贈を毎年続けています。子ども達にもわかりやすいように、肥沼博士の偉業を伝える絵本や紙芝居を制作。絵本は八王子市内の全小学校に各40冊ずつ寄贈しました。
2017年には八王子市とヴリーツェン市が友好交流協定を締結。生家跡近くの中町公園に「お帰りなさい!Dr.肥沼」と書かれた顕彰碑が多くの人の寄付により設置されました。最近では、ヴリーツェン市庁舎と博士の墓所を結ぶ通りが「Dr.コエヌマ通り」と名付けられるなど、同会の提案が実現しました。
代表の塚本さんは「最後に桜を見たいと言って亡くなったドクター肥沼の想いに応え、いつの日か通りを桜並木にできれば」。桜の苗木を現地で植えてもらうための募金活動を開始します。
代表者 塚本 回子(つかもと かいこ)
問い合わせ先 ☎042-664-9539
ショッパー 八王子周辺版 3月4日号掲載